今まで正直、声掛け頑張ろうと街に出るものの、いつもと同じく、ハナから声掛けする気がない気がする。
ハッキリいって、ドツボにハマってる感じだ。
ターゲットを追いかけ、横に並ぶ所までは動くものの、潜在意識が“声掛けない”のスイッチが入っているので、案の定、そこまで行っても声を掛けない。
今のオレに足りないのは、街に出る前に、“必ず声掛けする”と言う“覚悟”なのかもしれない。
その覚悟が出来ていれば、否が応でも絶対に声掛けする為に何かしら準備をするはずだ。
そして、声掛けの当日まで声掛けの事で頭がいっぱいになるはず。
例えば、明日、仕事で得意先の担当者10人以上の前で商品のプレゼンを、初めて行わなければならないなら、前日までに必ずプレゼンのシュミレーションを何度となく、納得いくまで行うはずだ。
もし、プレゼンを全く練習せず、得意先の前で醜態をさらせば、自分の評価ぎ下がる上に、自社にも迷惑をかけることになる。
だから、必死になる。
これがナンパとなると、明日必ず声掛けすると決めても、やはり自分で決めた事。自分でやめようと思っても誰も止めないし、やめても他人からの自己に対する評価が下がることもなければ、他人に迷惑をかけるワケでもない。
ただ自己嫌悪に陥るだけだ。
この“覚悟”をどうやって自分の中から引き出すか。いや、逆に考えよう。
頭ではやった方がいいと分かっていても、ナゼこの“覚悟”が出来ないのか?
・必死の思いで何とか一件声掛け出来たとしても、自分の思う理想の声掛けとかけ離れていれば、それは声掛け出来たと思えないと言う、自分の中の完璧主義が出て来る。
なので、たった一件声掛け出来たとしても、その先に繋がるイメージが湧かない為。
→たとえ一件でも、声掛け出来た事はすごい事だと思う。
今の声掛けする気さえ起こらず、自己嫌悪になる自分をよーーく覚えておく。
それから比べれば、めちゃくちゃ自分が変われている事をよく自覚する。
そして、その状態は断崖をよじ登るが如く、地道に繰り返し反復し、確実に自分のものにしていく。
とまあこれも頭で分かっている事であって、出来ているわけではない。
今はまだ精神的にかなりキツイ状態が続くが、それこそ地蔵克服まで“覚悟”が必要なのかもしれない。